「来月で終わりです」と言われた。予定を空けていた分まで、請求していいのか分からない
月曜10時06分、ECサイトの週次ミーティングが終わる直前だった。
発注側の担当者が少し間を置いてから、「予算の見直しがありまして、この案件は来月末で終了にさせてください」と言った。
フリーランスのエンジニアとして参加していた美咲は、画面の右下に並ぶ顔を見ながら、「承知しました。引き継ぎも対応します」と答えた。関係は悪くなかった。三日前には次の機能について相談されていたし、来月も週三日を空けていた。別会社から届いた短期案件の相談も、この仕事が続く前提で断っていた。
通話を閉じてカレンダーを開くと、確保していた十二日分の予定が目に入った。実装途中の決済画面、まだ頼まれていない引き継ぎ資料、終了後も続きそうなチャット対応。どこまでが今の契約に含まれ、何を請求できるのか分からない。
「今さらお金の話をしたら、最後に面倒な人だと思われるかもしれない」
そう考えると、担当者へ聞き返すより、残りを全部終えて静かに離れる方が楽に見えた。けれど、そのままでは、空けた予定も増えていく引き継ぎも、美咲が一人で引き受けることになる。
急な終了連絡で手が止まるのは、契約を理解していないからだけではない。収入を失う不安と、関係を悪くしたくない気持ちが、確認する言葉を飲み込ませるからだ。 その状態で正解を一つに決めようとせず、契約上の事実、制度の説明、相手と確認することを順番に分けていく。
急な終了連絡で、契約書を開く手が止まる
美咲が最初にしたのは、返信文を考えることではなく、今ある資料を同じ画面に集めることだった。業務委託契約書、直近の発注書、終了を告げられたミーティングのメモ、担当者とのチャットを開いた。
「終了の相談」と「正式な通知」を分ける
契約書には、「中途解約は三十日前までに書面または電子メールで通知する」とあった。しかし、今届いているのはオンライン会議での口頭連絡だけだった。来月末という日付も、何月何日なのか書面では示されていない。
ここで「口頭だから無効だ」と決めつける必要はない。まず確認するのは、今回の発言が正式通知なのか、社内調整中の相談なのか、正式なら契約終了日はいつかだ。
終了日が一日違うだけでも、最後の請求期間や引き継ぎ日程は変わる。会話の印象ではなく、日付と通知方法を文字で残す。
三つの箱に分けると、怖さの中身が見える
美咲はノートを三つに分けた。
| 契約や発注に書かれた事実 | 制度で確認すること | 相手と決めること |
|---|---|---|
| 解約は三十日前に通知 | 予告義務の対象か | 正式な終了日 |
| 翌月十二日分を発注済み | 理由開示を求められるか | 最終月の作業範囲 |
| 報酬は月額 | 支払い期日の扱い | 引き継ぎと終了後対応 |
書き出しても、収入が減る不安は消えない。ただ、「全部どうしよう」という重さが、「終了日」「発注済み作業」「引き継ぎ」という確認可能な項目へ変わる。
不安をなくしてから聞くのではなく、不安の中身を事実に分けてから聞く。 それなら、相手を責めずに会話を始められる。
三十日前のルールだけでは、請求額まで決まらない
フリーランス法では、一定の条件を満たす継続的業務委託について、中途解除や不更新を原則三十日前までに予告する義務がある。ただし、この数字だけを見て「三十日分を必ず請求できる」「予告がなければ解除は無効」と結論づけるのは危ない。
六か月以上の継続委託には、原則三十日前の予告がある
公正取引委員会のQ&Aでは、特定業務委託事業者が六か月以上続く業務委託を中途解除したり、更新しなかったりする場合、例外を除いて少なくとも三十日前までの予告が必要と説明されている。八月三十一日に終了するなら、八月一日までに予告するという数え方だ。
フリーランスから理由の開示を求めた場合、対象となる期間や条件を満たせば、発注側は遅滞なく理由を示す必要もある。一方、同Q&Aは、予告義務に違反したときの契約解除の有効性や損害賠償まで、フリーランス法だけで決まるわけではないとしている。個別の契約や事実関係に基づく民事上の判断は別に残る。
つまり、制度は確認の足場になるが、請求書の金額を自動で決めてはくれない。
公正取引委員会が2026年6月に公表した令和7年度の運用状況では、フリーランス法に関する申出などは604件あり、1,597件を処理し、10件の勧告と1,542件の指導を行った。取引条件の明示や支払期日は、施行後も実際に問題が見つかっている論点だ。
空けていた予定は、何でも支払対象になるわけではない
「この案件のために空けていた」という事情は、相談する材料にはなる。ただし、空けた日数すべてが当然に請求できるとは限らない。契約が月額か時間単価か、すでに発注されていたか、準備へ着手していたか、他の仕事を受けられなかった事情を相手が認識していたかで見方は変わる。
公正取引委員会が2025年12月に示した指導事例では、イベント直前のキャンセルにより、出演者がその日に他の仕事を受けられなかった場合、無駄になった準備費だけの支払いでは足りず、報酬相当額を支払わなければ問題となるおそれがあるとされた。これは個別事例に即した考え方で、ソフトウェア案件の全てに同じ結論が当てはまるわけではない。
だから美咲は、「予定を空けたから十二日分ください」と先に結論を出さなかった。発注書に翌月十二日分が記載され、月額報酬が決まっていることを示し、そのうえで終了日までの作業と支払いを確認した。
請求できるか分からないときは、遠慮してゼロにする前に、発注済みの範囲と合意済みの金額を確かめる。 判断が難しければ、公正取引委員会や都道府県労働局の相談窓口、フリーランス・トラブル110番などへ個別に相談する。
関係を悪くしたくないほど、引き継ぎが増えていく
終了が決まった後は、普段より「最後だから」と頼まれやすい。コードの整理、後任への説明、仕様書の更新、残課題の棚卸し、終了後の質問対応。一つずつは必要に見えても、全部を受けると最終月の実装時間を超える。
引き継ぎは、成果物・回数・期限で止める
「引き継ぎをお願いします」だけでは完了が分からない。美咲は、次の三つへ分けた。
- 成果物: 現在の構成と残課題をまとめた文書を一つ
- 回数: 後任との説明会を一回、六十分
- 期限: 契約終了日の十七時まで。終了後のチャット対応は別途相談
この形なら、資料をどこまで詳しくするか、会議を何度開くか、いつまで質問に答えるかを相手と決められる。断るための線ではなく、最終月の中で実装と引き継ぎのどちらを優先するか選ぶための線だ。
終了時の作業が広がりやすいなら、引き継ぎを「資料作成」だけで終わらせないも参考になる。追加対応が当初の範囲を超えるときは、「少しだけ追加で」に飲まれない変更依頼の分け方の考え方も使える。
最初の返事で、全部を決めなくていい
美咲は、会議で「承知しました」と答えたあとでも、次のメッセージを送った。
終了のご連絡、承知しました。認識を合わせるため、三点を確認させてください。
- 契約終了日と、今回のご連絡が正式通知に当たるか
- 最終日までの実装と引き継ぎの範囲
- 発注済みの翌月稼働と進行中作業の請求範囲
本日中に契約書と発注書を確認し、明日十五時までに一度お話しできますか。
送信前には、「一度了承したのに、話を蒸し返す人と思われないか」と指が止まった。それでも、この文面は終了を拒んでいない。相手の事情を責めてもいない。確定していない三点を、期日を置いて確認しているだけだ。
「承知しました」は、未確認の条件まで全て受け入れたという意味にしなくていい。 後からでも、事実を確認する言葉は送れる。
空白になった予定を、一人で埋めなくていい
翌日の打ち合わせで、終了日は翌月末とメールで確定した。発注済みの十二日分は月額報酬の対象にし、その中で決済画面を完了させるか、引き継ぎへ時間を振り替えるかを選ぶことになった。
最後の一か月に、終わり方を置く
話し合いの結果、実装は動作確認まで、引き継ぎは文書一つと説明会一回にした。終了後の質問は今の契約に含めず、必要になった時点で時間単価と上限時間を決める。発注されていない翌々月以降の空き枠は請求対象にせず、美咲は営業連絡を再開した。
希望が全部通ったわけではない。断った短期案件が戻ってくる保証もない。それでも、何も聞かずに引き継ぎを抱える状態から、支払われる仕事と終わる日が見える状態へ変わった。
担当者からは、「こちらも依頼の優先順位を決められて助かります」と返ってきた。美咲が怖がっていたほど、確認の会話は関係を壊さなかった。
今日やるのは、契約書から三行を抜き出すこと
今の案件が終わりそうなら、まず契約書や発注書から次の三行を抜き出してほしい📝
- 終了日と、正式通知になる連絡方法
- 終了までに完成させる仕事と、引き継ぎの回数・期限
- 発注済み作業、進行中作業、確保した稼働の支払い条件
書かれていない項目があれば、それが次に相手へ確認することだ。請求額を一人で決め切れなくても、何が合意済みで、何が未確定かは分けられる。
急な終了連絡で胸が重くなるのは、強く交渉できないからではない。先の収入と、築いてきた関係を同時に失いたくないからだ。その気持ちを押し込めて即答すると、未確定の仕事まで抱えやすい。
空白になった予定を、自分の我慢だけで埋めなくていい。 終了日、仕事、支払いを一つずつ言葉にすれば、次の仕事を探すための時間も取り戻せる🙂