契約更新の前に、最低限この3点は見直したい
更新の連絡に安心して、同じ条件で返事をしかけた
水曜の朝7時42分、通勤電車の窓際でメールを開いた。
業務委託先の担当者から届いた件名は「次期契約の更新について」。今月末で終わる契約を、同じ報酬で3か月延長したい。金曜までに返事がほしい、と書かれていた。
連絡を待っていたフリーランスのエンジニアは、まずほっとした。翌月の売上が見えず、家賃や税金の支払いを何度も頭の中で計算していたからだ。継続できるなら、細かい話をして空気を悪くしたくない。「同じ条件で問題ありません」と返信欄へ打ち始めた。
ところが、車窓へ映った自分の顔を見て手が止まった。
3か月前、契約書に書かれていたのはAPIの実装とテストだった。今はほかのメンバーのコードレビュー、要件整理の会議、障害が起きた時の最初の確認まで担当している。前の週には21時半の通知へ対応し、原因の切り分けを終えたのは23時前だった。それでも、頼られている証拠だと思って何も言わなかった。
更新の話を出したら仕事を失うかもしれない。その怖さがあると、「契約を続けたい」と「今の条件をそのまま受け入れる」が同じ意味に見えてしまう。うれしさが消えたわけではない。ただ、安心した勢いで返事をすると、言い出せなかった仕事まで次の3か月へ持ち越すことになる。
そこで送信せず、下書きを閉じた。次の駅へ着くまでの数分で、メモに「金額」「役割」「続ける条件」と3行だけ書いた。
契約更新の前に全部を見直す時間がなくても、この3点なら確認できる。交渉で勝つためではなく、何に同意して次の仕事を始めるのかを、自分にも相手にも分かる形にするためだ。
まず、契約に書かれたことと実際の仕事を並べる
更新の話を考える時、最初から「単価を上げてもらえるか」と悩むと、言い出す怖さが大きくなる。先にやるのは評価ではなく、手元にある事実を並べることだ。
現在の契約と更新メールから、変わらないものを拾う
まず契約書、発注書、更新メールを開き、次の項目をそのまま抜き出す。
- 契約の開始日と終了日
- 業務内容と納品物
- 報酬額と支払期日
- 想定する作業量や稼働時間
- 連絡できる時間帯と対応期限
- 中途解約や更新しない場合の連絡期限
- 更新後に変わる点と、返事を求められている日
今回の契約では、月80時間を目安にAPIの実装とテストを行い、月額45万円を翌月末に受け取ることになっていた。更新メールに書かれていたのは「同条件で3か月延長」と返答期限だけだった。
この段階では、良い条件か悪い条件かを決めなくていい。「同条件」が何を指すのか、文書から読み取れる範囲を固定する。
直近4週間の仕事は、記憶ではなく件数と時間で見る
次に、カレンダー、作業記録、チャット、プルリクエストを見て、直近4週間に実際にした仕事を拾った。
APIの実装とテスト: 54時間
コードレビュー: 週4〜6件、合計16時間
要件整理の会議: 9時間
障害の初動確認: 3回、合計7時間
合計: 86時間 これは請求のための精密な勤怠表ではない。契約時に想定した仕事と、現在頼まれている仕事の差を話すための材料だ。
「いろいろ増えました」では、相手も判断しにくい。「レビューが毎週4件以上あり、障害の初動が3回あった」まで言えれば、次期にも必要な仕事か、誰が持つかを一緒に決められる。
合計時間が契約の目安を少し超えただけで、すぐに条件変更が必要だと決めるわけでもない。リリース直前だけ増えたのか、前の月から同じ作業が続いているのかで意味は変わる。件数と時間に加えて「今回だけ」「毎週」「今後も続く見込み」を付けると、次期に持ち越す仕事を選びやすい。
頼まれたことと、自分で引き取ったことを分ける
実際の仕事が増えていても、すべてが正式な依頼とは限らない。困っている人を見て自分から手伝った、担当が決まらないまま対応した、という仕事もある。
だから、増えた仕事には「相手から依頼された」「会議で担当すると決まった」「自分の判断で一時的に対応した」の印を付ける。自分から引き取った仕事を、後から相手の一方的な追加だと決めつけないためだ。一方で、毎週繰り返しているのに誰の担当か決まっていないなら、更新は役割を決め直す機会になる。
ここまで並べると、漠然とした不満が「金額」「役割」「続ける条件」のどこにあるのかが見えてくる。
最低限見る3点は、金額・役割・続ける条件
三つは別々に見た方がいい。金額を変えられなくても役割を減らせることがあり、役割を続ける代わりに連絡時間を決められることもある。全部を一度に通す話にしない方が、選べる案が増える。
1. 金額は、報酬額だけでなく支払日と仕事量まで見る
最初に確認するのは、更新後の報酬額、支払期日、対象期間だ。そのうえで、実際の仕事量と並べる。
今回なら、月額45万円は変わらない。一方で、直近4週間は86時間働き、契約にないレビューと障害対応が繰り返されていた。ここから出せる相談は、「値上げしてください」だけではない。
- 月額を据え置くなら、実装とテストを優先し、レビュー件数に上限を置く
- レビューと障害対応も続けるなら、報酬か想定時間を見直す
- 今回は据え置きでも、1か月分の記録を見て次回の見直し日を決める
フリーランス法が適用される業務委託では、発注側は業務内容、業務を行う期日、報酬額、支払期日などの取引条件を、書面やメールなどで明示する必要がある。契約書があっても、必要な項目が書かれていなければ十分とは限らないと公正取引委員会は案内している。
ただし、法律の対象になる事業者や取引には条件がある。ここでは「法律に違反している」と先に決めるのではなく、更新後の金額と支払日が文書に残るかを確認するための基準として使う。
2. 役割は、肩書ではなく次期に続ける作業で決める
「エンジニア」「開発支援」という肩書だけでは、次に何をするかは分からない。更新前には、続ける作業を動詞で書く。
今回なら、次のように分けられる。
当初の役割: APIを実装し、テストして提出する
増えた役割: 他メンバーのコードを確認する
未確定の役割: 障害通知を最初に見て、担当者を決める 相手へ聞くのは、「私の役割を評価してください」ではない。「レビューと障害の初動は、次期も私の担当に含みますか」と確認する。続けるなら契約へ入れ、続けないなら誰へ渡すかを決める。
役割を言葉にするのは、頼られることを拒むためではない。自分が判断してよい範囲と、ほかの人へ渡す範囲をそろえるためだ。役割が曖昧なままでは、気づいた人が毎回引き取る状態が続く。
3. 続ける条件は、連絡時間と終わり方まで含める
三つ目は、仕事を続けるための条件だ。作業場所や連絡手段だけでなく、次を確認する。
- 通常連絡へ返す時間帯
- 緊急対応が必要な状態と、最初に連絡する人
- 追加作業を始める前の確認方法
- 最終判断をする人
- 次回の見直し日
- 中途解約や更新しない場合の連絡方法と期限
特に「いつ終わるか」は、契約が続く時ほど後回しになりやすい。公正取引委員会のQ&Aでは、対象となる6か月以上の業務委託を発注側が途中で解除する、または更新しない場合、原則として30日前までの予告が必要と説明されている。予告から契約満了までの間に理由を求めた場合は、原則として理由の開示も必要になる。契約の更新を重ねて6か月以上続く場合も対象になり得るが、例外や適用条件がある。
この制度は更新を保証するものではない。契約書にある解約条項の確認も別に必要だ。読者がまずすることは、相手へ法律名を示すことではなく、自分の契約がどれくらい続き、終了や不更新の連絡期限が何日と書かれているかを確かめることだ。
契約書で先に見る場所をさらに絞りたい場合は、業務委託契約書、全部読む前にどこを見る? 先に確認したい5つの条件も参考になる。
続けたい気持ちを残したまま、更新前の20分を頼む
電車を降りた後、エンジニアは担当者へ次のように返信した。
更新のご連絡ありがとうございます。次期も継続したいと考えています。更新前に、現在増えているコードレビューと障害時の初動を次期の役割へ含めるか、20分だけ確認させてください。今週木曜か金曜でお時間をいただけますか。
「条件を変えないなら更新しません」と迫ったわけではない。継続する意思を先に伝え、確認したい事実と必要な時間を続けた。返事を保留することが、契約を断ることと同じではないと自分にも言い聞かせられた。
全部が変わらなくても、次の3か月を同じにしない
20分の打ち合わせで、担当者からは今期の予算では報酬を上げにくいと説明があった。その代わり、夜間の障害通知は社員が最初に確認し、翌営業日に必要な調査だけを依頼することになった。コードレビューは正式な役割へ入れ、実装件数との優先順位を週次で決める。報酬は1か月分の作業記録を見て、次の更新前にもう一度話すと決めた。
希望がすべて通ったわけではない。それでも、21時半の通知を一人で抱える次の3か月ではなくなった。担当者から「先に整理してもらえて助かります」と返され、条件を聞いたら関係が切れるという怖さも少し小さくなった。
更新の見直しは、値上げに成功したかだけで判断しない。役割が言葉になった、時間外の連絡先が決まった、次に話す日が入った。どれか一つでも残れば、同じ曖昧さを持ち越さずに済む。
返信前には、この3行だけ埋める
更新期限が迫っている時は、長い資料を作らなくていい。まず三行を書き、根拠になる契約や記録を一つずつ添える。
金額: 更新後の報酬・支払日と、直近の仕事量
役割: 契約にある作業と、次期も続ける追加作業
続ける条件: 連絡時間・追加依頼・終了時の扱い そのうえで、「継続したい。更新前にこの三つを確認したい」と送る。いま決めきれない項目は、確認する日を次期契約へ残す。
もっと早い時期から準備できるなら、契約更新の3か月前から始める準備で、成果と役割の記録を作る流れも確認できる。
話し合えない時は、記録を持って一人の外へ出す
確認しても条件を文書にしてもらえない、一方的な減額や追加作業を求められる、突然不更新を告げられた。そんな時まで、自分の伝え方が足りなかったと抱え込まなくていい。
契約書、発注メール、更新の連絡、請求書、起きたことの時系列を保存する。厚生労働省委託事業の「フリーランス・トラブル110番」では、フリーランスから契約や報酬などの相談を無料で受け付けている。フリーランス法の違反が疑われる場合には、公正取引委員会、中小企業庁、厚生労働省への申出窓口も案内されている。
更新の連絡が来た朝に安心したことも、条件を見直したら仕事がなくなると怖くなったことも、どちらも自然な反応だ。その気持ちを消して強く交渉する必要はない。返信を一度下書きへ戻し、契約と実際の仕事を並べ、三つの確認を相手と共有する。
次の契約を守る最初の行動は、すぐに同意することではなく、何を続けるのかを3行にしてから返事をすることだ。