「単価を上げたい理由は?」と聞かれたら、何も言えなくなった
「希望額は分かりました。今の金額から上げる根拠を、もう少し教えてもらえますか」
火曜9時15分。地域のパン店で予約販売システムを支えていたエンジニアは、開店前の更新面談でそう聞かれた。
最初に頼まれたのは、予約画面三つの実装だった。半年たった今は、注文エラーの切り分け、販売スタッフへの確認、公開前の手順整理、新人が入った日の操作説明まで担っている。月額を5万円上げたい理由は、頭の中では十分にあるつもりだった。
ところが、口から出たのは「実装以外も含めて、全体を見ています」だった。
担当者は少し待ってから、「予算もあるので、今回は同じ条件でお願いできると助かります」と返した。エンジニアは反射的に「分かりました」と答えそうになり、更新条件書へ視線を落とした。
ここで食い下がったら、お金に細かい人と思われないか。成果を数字で言えないなら、増えたと思っているのは自分だけかもしれない。
そう考えると、何をしてきたかを話すより、据え置きを受け入れて面談を早く終わらせたくなる。仕事が増えた苦しさより、自分を高く評価してほしいと頼んでいる気まずさの方が大きくなってしまう。これはかなりしんどい😶
単価の話になると、急に言葉が弱くなること、ない? ここで必要なのは、自分の価値を立派な一言へまとめることではない。最初に約束した仕事と、今している仕事を並べ、相手側で何が変わったかまで確かめることだ。
「全体を見ています」では、相手も判断できない
「現場に貢献しています」「責任が増えました」「全体を見ています」。どれも嘘ではない。それでも、その言葉だけでは、担当者は予算を変える理由を社内へ説明しにくい。
パン店の担当者から見れば、予約が毎日動いていることは分かる。ただ、エンジニアが裏側で注文エラーを分類し、公開時刻を販売スタッフと合わせ、問い合わせの手順を整えたことまでは見えていなかった。問題が起きなくなるほど、その仕事は目立たなくなる。
言えなかったエンジニアも、準備をしていなかったわけではない。「予約機能を改善した」「安定運用へ貢献した」とメモしていた。でも、改善や安定という言葉の中に、複数の行動と結果が入りすぎていた。
これまで単価相談のメモを見直す時にも、説明が弱くなる人ほど、何もしていないのではなく、やったことを一つの大きな言葉へ詰め込んでいるケースが多かった。価値が足りないのではなく、判断できる大きさまで分かれていない。 ここを先に直したい。
単価の根拠は、自己評価ではなく仕事の事実から作る
更新面談でいきなり「自分はいくらの人間か」を決めようとすると、話が重くなる。相手から同意されなかった時、自分自身を否定されたように感じるからだ。
でも、契約で決めるのは人の値段ではない。一定の期間、どの仕事をどの条件で担うか、その対価を決める。まず見積書、発注書、契約書、合意したメールを開き、次の事実を確認する。
- 当初の役割と業務内容
- 稼働日数、対応時間、会議回数
- 作るものと、公開後に対応する範囲
- 現在の報酬額と次の更新日
対象となる業務委託では、フリーランス法により、発注者は業務の内容、報酬額、支払期日などを、書面やメールなどで明示する必要がある。ただし、この法律が、役割の増加に応じた値上げ額を自動的に決めるわけではない。
公正取引委員会の「労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針」は、2026年1月1日に改正された。労務費の上昇を取引価格へ反映する場面では、受注者が言い出しにくいことを発注者側も認識し、定期的に協議の場を作ること、交渉の記録を双方で保管することなどを示している。
この指針も、エンジニアの役割が増えたら月5万円上げる、と決める資料ではない。労務費の上昇を理由にする場合と、仕事の範囲が広がったことを理由にする場合も分けたい。それでも、価格の相談はわがままではなく、変わった事実と今後の条件を持ち寄って話し合うことだと考える助けにはなる。
一つの案件を四つに分けると、話せる材料が出てくる
面談後、エンジニアは「全体を見ています」を使わず、直近8週間のチケット、会議メモ、問い合わせ履歴を開いた。立派な評価資料を作るためではない。最初と現在の違いを、自分でも確かめるためだ🧾
1. 最初に約束した役割
まず、契約や発注時に何を持つと決めていたかを書く。今回なら、予約画面三つの実装、既存APIとの接続、公開前テストまでだった。
ここで「エンジニア一式」のような広い言葉に戻さない。画面、機能、会議、対応時間のように、後から現在と比べられる形へ下ろす。
この確認を飛ばして現在の忙しさだけを話すと、相手には「同じ仕事に時間がかかるようになった」と見えることがある。増えた仕事を示すには、増える前の約束が必要だ。
2. 実際に繰り返した行動
次に、たまたま一度助けたことではなく、今後も期待されている行動を書く。
パン店の案件では、週1回の注文エラー確認、販売スタッフと公開時刻を合わせる連絡、公開前チェックリストの更新、新人向けの操作説明が続いていた。これらは「気を利かせたこと」ではなく、予約販売を止めずに回すための仕事になっていた。
ここで時間を盛る必要はない。チケット、カレンダー、チャット、作った資料から、何を何回したかを拾う。思い出だけで話すより、「直近8週間で6回」「公開前確認を4回」と書ければ、相手も現在の役割を想像しやすい。
一度だけの手助けまですべて値上げの理由にすると、相手は「それは今回だけでは」と判断に迷う。継続する仕事か確かめる時は、直近2か月で繰り返したか、次の期間も自分へ依頼されるか、やめた場合に誰が引き取るかを見る。三つが説明できれば、それは善意の手助けではなく、次の契約で担当を決める仕事になっている。
3. 相手側で起きた変化
行動を書いたら、その結果として相手の仕事がどう変わったかを見る。売上だけが価値ではない。問い合わせが減った、確認が早まった、公開後に戻す回数が減った、担当者が判断しやすくなった、という変化も材料になる。
この案件では、同じ長さの二つの期間を比べると、公開翌朝の問い合わせが11件から3件へ減っていた。緊急で前の状態へ戻した回数も2回から0回になっていた。エンジニア一人の成果と断定はできない。販売スタッフが確認方法を変えた影響もある。
だから、「自分が11件を3件にした」とは言わない。代わりに、「公開前確認とエラー分類を始めた期間に、問い合わせが11件から3件へ減った。ほかの要因もあるため、次の更新期間も同じ指標を見たい」と伝える。
数字は自分を大きく見せるためではなく、何が起きたかを二人で確かめるために使う。 因果関係を言い切れない時は、そのまま言えばよい。
IPAが2026年4月に公開したデジタルスキル標準ver.2.0も、DXを進める仕事を単一の技術力ではなく、ソフトウェアエンジニア、ビジネスアーキテクト、データマネジメントなど複数の役割とスキルに分けている。これは個別案件の報酬表ではないが、実装以外の整理や運用が、曖昧な善意ではなく別の役割として存在することを確認する材料にはなる。
4. 次の期間も持つ範囲と価格
最後に、過去の頑張りを並べて終わらせず、次の期間に何を担うかを決める。価格は、今後の範囲とセットで出す。
エンジニアは次の二案を作った。
- 月額を5万円見直し、実装に加えて、週1回のエラー確認、公開前の運用調整、月1回の操作説明まで担う
- 現在の金額を維持し、実装と公開前テストまでを担い、日々の注文確認とスタッフ説明は店舗側へ戻す
5万円は、相場だけから決めた数字ではない。追加対応にかかった時間、営業開始前や公開日に確保する時間、店舗側で代わりの人を立てる場合の手間を並べて出した。ここでも正解を一つに決める必要はない。「この範囲なら5万円」「ここを戻すなら3万円」のように、仕事と金額の組み合わせを作ると、希望額の押し付けではなく条件の調整になる。
予算が上がらないなら、全部を同じ金額で続けるしかないわけではない。今の価格で持てる範囲へ戻す案もある。単価の根拠は、過去の表彰状ではなく、次に引き受ける仕事の条件だ。
据え置きか退場か、その二択にしなくていい
翌日、エンジニアは担当者へ面談の補足を送った。
昨日は「全体を見ている」とだけお伝えし、具体的な範囲を説明できませんでした。当初の実装に加え、現在は週次のエラー確認、公開前調整、操作説明を担当しています。次期もこの範囲を持つ場合は月額5万円の見直しを、現在の金額を維持する場合は実装と公開前テストまでに戻す案を相談したいです。
送信前は、値上げを蒸し返すようで手が止まった。それでも、前日のように自分の価値を認めてもらおうとする文面ではない。契約時の仕事、増えた仕事、次の選択肢が書かれている。
担当者からは、すぐに満額を受け入れる返事は来なかった。代わりに、月額を3万円見直し、操作説明は店舗の責任者へ引き継ぐ案が返ってきた。希望どおりではない。でも、据え置きを飲むか案件を離れるかの二択から、条件を調整する会話へ戻れた🙂
次の面談に向けて、いきなり四半期分の立派な資料を作らなくていい。直近の仕事を一つ選び、紙を四つに分ける。
- 最初に約束した役割
- 実際に繰り返した行動
- 相手側で起きた変化
- 次も持つ範囲と希望する価格
見積りの中に含む仕事が曖昧なら、見積りを一行で出したら、頼まれるたびに仕事だけが増えていったから先に整理できる。更新前に記録を集める時期は、更新してもらえるのはうれしい。でも、増えた仕事を同じ単価で続けるのがつらいにつながる。
「なぜ上げたいか」を一言で格好よく答えなくていい。約束、行動、変化、次の条件へ分ければ、単価の話は自己評価ではなく仕事の相談へ戻せる。 その四つがあれば、面談で言葉が止まっても、あとから事実を送って話し直せる。